本来無一物

本来無一物

時に極端に、時にふらふら〜と生きている日常を綴ってます。

身近な人が苦しんだ時、手を差し伸べられるか

もし、差し伸べることができないならどんなに人に優しくしてもそれは偽善と思う。

 これはあくまで主観で他者の価値観を否定するつもりは全くない。

 

なぜこんなふうに思うのかと言うと、私が家族に優しくできないからである。

困っている人、苦しんでいる人がいると助けたいと思うのに、いざその局面に立たされると動かない。

言うだけただの偽善である。

 

今まで催促され金銭的援助を家族にしてきた。

そのことで自分が卑屈になって他者を疎むようになり、家族にすら無関心になってしまったのだけれど、最近ショックなことを親戚に聞いた。

 

 

母親が、骨折したらしい。

 

 

その事実を長らく知らされておらず、母からの金銭的援助の催促に辟易していたのだ。

私が母からの連絡を無視している間は母は歩くこともできず、愚痴を吐くこともできず、父からは病院に行く金もないからと放置されたらしい。

 

今の時代骨折したにも関わらず放置されるなんて。

苦しむ人間を放置する人間が父親で。

そこまで父を鬼に変えてしまったのが母親で。

 

そこまで二人が苦しんでしまったのに関わりたくないとこれ以上逃げることは、私が人としての在り方を問われているように感じる。 

ここで逃げてしまったらいずれ私がなるべき人としての在り方が決まってしまう。

 

他人に優しくしようと思う前にやるべきことがある。

どんなに辛くても決断しなくちゃいけないことがある。

 

両親のために出来ることを探し、考えてはいた。

でもそれを実行しなかったのは今の幸せを手放すから。

我が身可愛さに決断できなかった。

 

でも、これ以上はもう駄目だ。

決心が揺らがないように、姉に新幹線をとってもらい実家はいってもらうことにした。

移動費は私が出す。

残念ながら仕事を休むことができなかった。

来月から怒涛の試練が待ち受けているように思うけど、自分自身の為にも向き合って解決していこうと思います。