本来無一物

本来無一物

時に極端に、時にふらふら〜と生きている日常を綴ってます。

私に何ができるんだろう

断捨離、断捨離と思いつつ、やっぱりこびりついた執着はなかなか落ちることなく、でも少しずつ綺麗になっているように感じます。
現在はいらない通帳やクレジットカードを解約している最中です。
おまけにネットのいろいろな手続きも解約中。
服、家具も引っ越しに伴ってだいぶ捨てたものの、現在残っている物たちはボロボロなものも多い。
電気ストーブは家族に譲ったものの、新しい住処のエアコンは温風が出ないため買いなおしました。
本棚にある本、DVDもいずれは・・・と思いつつ手放せません。
もともと禅に惹かれていたけれど、心身を壊し療養中になった今、素人ながらに禅の思想を生活に取り入れています。
要らないものは捨てる。こだわりもすてる。
全部捨ててしまえー!!とばかりに思うのけれど、現実はそこまですっきり解放されていません(笑)
寒さは辛いし、空腹で倒れそうでもないけど、三食しっかり食べてるし(むしろ食べ過ぎているから問題)、ボロボロの服を着たら人からどう見られるだろう、そろそろ新しい服がほしいって思ってしまう。
けれど不満でいっぱいだった我が家、今のところ安心できる空間に感じられるようになりました。
エアコンの温風は出ないし、換気扇とトイレは入居してすぐに壊れたし、床は痛みが早いし、結露は毎朝拭いてもすごいし、招かれざる客(G)は出るし、真夜中のピンポンもあるし。
お隣さんのくしゃみが聞こえるほど壁も薄い!
不満たらたら~復職したらすぐでてってやる!・・・と思っていたけど禅の思想を取り入れてから、そしてある出来事があって心の変化があった。
私の住んでいる地域にはホームレスがいるんだけど、そのホームレスが寒空の下、コンビニの肉まんを握りしめていたことがあった。
その時、胸が苦しくなったんだよね。
寒くても雨風をしのぐことも飢えをしのぐこともできない。
人間にとって最大の欲求すら叶えることができない人間がいることを目の当たりにする瞬間。
今自分の置かれている状況の有難さを痛感する。
屋内にいて毎日お風呂にも入れてご飯は三食食べ、たっぷりの睡眠をとることができる。
当たり前の権利と思っていたものが当たり前ではありませんよー、って時々私に気づかせてくれる。
自分とは関係ない、って思うことができない。
だれしもそうなる可能性があるのが今の日本だと思う。
その時ただただ自分の置かれている状況が有難くて、自分にできることはなんだろうとしばらく考えていて思いついたのが家族に会うこと。
今は身近の家族に恩を返していくしかない。
貯金を崩して生活している身としては遠方の家族に会いに行くのはきついけど、何となくそうしなきゃって思って自分でも驚くくらいハイペースで手続きをしてしまった。
病気療養中なのだから自分を甘やかしていいでしょ、みたいな気持ちもあったのは事実。
でも恩を返したいっていうのも本当の気持ち。


私にできることって何だろう。