本来無一物

本来無一物

時に極端に、時にふらふら〜と生きている日常を綴ってます。

傲慢になってました

あーやだやだ。
機嫌が悪くなってぶつぶつと嫌味を言って。
でもふと気づいたら私がこうやって過ごせているのは誰かの手助けがあったからで。
そのことをすっかり忘れてました。
忘れて自分の主張ばかりしてた。
それに気づいた時ものすごく恥ずかしかった。

もしかしたら私は世間一般の人と比べると少しだけ大変な10代を過ごしたのではないかと思う。
当時は辛くて辛くて助けてくれる大人は皆無に等しかった。
10代の多感な時だから複雑な心境を理解してもらえることもなく、私自身自分の感情をどう整理したらいいのかわからずただただ殻にこもるしかできなかった。
それでもわずかに助けてくれる人がいてくれた。
そのありがたさを絶対に忘れないと思っていたのに。
月日が流れて自分の足で歩けるようになったとき、当時助けてくれた人から頼みごとをされた。
それは本音を言うと断りたい類のものだった。
でも助けてもらったし、と自分を納得させて受けることに。
本心は嫌だったから周囲に愚痴をこぼしていたところ、思いだした。
当時の私にとって、その人たちがどれほど救いだったのか。
私は自分の存在が迷惑だと感じていた。
実際私の存在は迷惑まではいかなくても悩みの種くらいにはなっていたと思う。
それでも仕方なし、と彼らも自分を納得させて私を受け入れてくれたのだと思う。
それがどんなにありがたかったか。
わかっているようでわかっていなかった。

それを思いだしてから、すぐに行動に移しました。
感謝を忘れたらどんどん自分が醜くなっていく。
今の私が自分で歩けるようになったのは間違いなく彼らのおかげであることを、もう一度心に刻みたいと思います。