本来無一物

本来無一物

時に極端に、時にふらふら〜と生きている日常を綴ってます。

無駄な時間もいいものだ

最近徹底的な時間短縮の本を読みました。
うーん、著者はとてもせっかちな人なのね、という感想。
だけど勉強になりましたよ。
無駄な時間を持たない意識はとても大事。
私は通勤中は満員電車でない限り、本を読むようにしています。
すると一時間以上を読書に充てることができる。
6分以上の集中した読書はストレスが軽減されるという効果もあるらしく、なるべく読書するようにしています。
特に朝は脳が活発になっているから、インプットにも最適なんだとか。
それでも読めない時があるんだな、気分的に。
そういう時は無意味な時間の使い方もします。
前にも検索した記事を読んでみたり、ネットサーフィンしたり、ただただボーっとしたり。
座れたらほぼほぼ居眠りします。
インプットだったり、生産的な行動だったり、そういうのは有意義な時間だと思う。
だけど無意味、無駄な時間っていうのも人間には必要だな、とも感じています。
だって常に生産的な行動をしなければならないなんて考えてたら息が詰まる。
インプットし続けると、パンクしてしまうんです、私は。
だからアウトプットして、無駄なことをして、インプットしてはアウトプット、そして無駄なこと・・って感じですね。
そういう風にだらっとした方が、生きやすいです。
私は仕事に追われる立場の人間でも、社交的な休日を過ごす人間でもないので。
たくさんの仕事をこなし、休日は友人、恋人、家族と過ごす。
うーん、素敵!
だけどなれないんだ、何度も言うけど。
卑屈になってそう思うんじゃなくて、やってみたいと思えない。
今の怠惰で社交性皆無な生活が愛おしいんです。
人から見たら寂しい人生。
本人にしてみたら悠々自適。
甘えてる、怠けてる。
それはもっともな意見。
でもそんな人生を送る人間が少しはいたっていいでしょう?
誰にも迷惑かけていないんだし。
こんな生き方だけはしたくないわーとか思われても(被害妄想)、本人にしてみたら楽しかったりするんです。
というのを最近思いました。
仕事では私より年下の人、同世代の人、年上の人と話す機会がある。
各々楽しそうな生活を送っているようで。
そんな中私の生活の一部を話すと時々ありえないというような反応をされることがある。
ほっとけよ、人の人生なんだから。
と、人に興味のない私は思ってしまいます。
他者から見た自分を意識する癖に他人に対しての興味は皆無という本当に自分勝手な人間ですね、私。
もっともっと人に関心を持って、人を大事にして、人を喜ばせたい。
そういう人間になりたい。
でもそうしようとすると心が悲鳴をあげる。
無理をしない生き方と願望は、相反するものなんですかね。
こんなことを考えていることが時間の無駄かもしれません。

ゆるっと生きましょう、ゆるっと。

最終的にこの答えに行き着きます。

さて。
残りわずかな今日もだらっとしますか。