本来無一物

本来無一物

時に極端に、時にふらふら〜と生きている日常を綴ってます。

似てない二人が、互いにないものを補う

私と姉は全く似ていない。
だからこそ3年ほど前までは全くそりが合わず、現在こそ良好な関係を築いてはいるけど合わない価値観に辟易することも多い。
真面目に姉妹をやめたい、うんざりだと思ったこともある。
けれど冷静な今は自分に姉妹がいてよかった、姉がいてくれてよかったと思う。

私の姉は精神疾患を患っている。
もう10年もの付き合いで、思春期真っただ中だった私はもろに被害を被った。
今思えば本人が一番つらかったとは思うけど、あの時の私は10代半ば。
姉のパニックを抑えられるのは家では私だけだった。
そのため親は姉の対処を私に任せた。
もちろん病院に連れて行ったりしたのは親だけど親よりも姉妹のほうが話しやすいだろう、唯一対処できる私に任せるのが一番いいと考えてのことだったと思う。
親もどうすればいいのかわからなかったのだろう。
その結果私は受験生だったけど受験どころではなかった。
反抗期どころでもなかったので、私の反抗期はなかった。
家庭内が崩壊していたので私まで迷惑をかけられないと子供ながらに思った。
そういう感情が後々の私の精神状態にも影響したんだと思う。

でもね、今思い返しても嫌な役回りだな、って思うよ。
包丁を振り回し、自殺未遂を繰り返す姉と、何時間もなだめる妹。
妹でありながら、やっぱり姉が怖かったよ。
親に見てこいと言われたら従うしかない。
従わなければ親も面倒くさいから。
親に言われて仕方がなく来ているんだろうと疑心を募らせてしまう姉もかわいそうだった。
今なら甘えるな、親がしっかり向き合えと親に言うこともできるかもしれないけど、あの頃の私は諦観していた。
肝心な時に親は助けてくれないんだと自分に言い聞かせて生きてきた部分がある。
そして実際私は姉にそんなことを言ってしまった気がする。
親に不満を言う前に自分で何とかしてみなよ、親に頼るだけまだ依存しているんだよ、とかね。
酷い妹だ。
でもその結果なのか、そうではないのかわからないけど、姉は次第に親から距離を置くようになった。
そしてなんでも一人でするようになった。
その結果、20代前半で大きな失敗を何度もしまくって、まさしく人生のどん底を経験した。


そんな姉は現在、己の病気とうまく向き合っている。
10年前とは考えられないほど、パニックも収まっている。
一度どん底も経験しているおかげで、タフにもなり経験豊かでもある。
20代前半の無鉄砲な行動はなくなったものの、アクティブは健在だ。


本当によく頑張ったと思う。
よくここまで来たと思う。
本当に偉い。

直接本人には言えないけど、並大抵の努力ではなかったはずだ。
よく頑張ったね。
死ななくて本当によかったね。


今でも波はあるし、パニックになったら近所とか関係なく喚き、私の家具が犠牲になったことも何度かあるけれど、その回数は確実に減ってきている。
家族の満足な助けがない中で、本当によく頑張った。


そして私はというとそういう環境で育ったせいか、かなり保守的な性格になったと思う。
誰かがぶれずにいなきゃ壊れるってその時思っていたんだよね。
20代前半はそのおかげで何もできなかった。
誰かが悪いんじゃなくて、自分は動いちゃいけない、家族のために生きなくちゃって自分に言い聞かせていた。
でもずっとそう言い聞かせて生かせるのも限界、そんな自分にほとほと嫌気がさして家を出た。


そして自分の人生を生きるのがこんなにも楽しいんだって、今実感している。


ただ保守的な性格はなかなか治らないけど、そこはアクティブな姉のおかげでだいぶ改善されてきている。
私にないものを姉が、姉がないものを私が持っている。

私『4月からまたニートだよー、どうしよー』
姉『表参道とかおしゃれなカフェで働いてみたら?』
私『それもいいね』
姉『それより今日仕事で嫌なことあってさー、鬱になりそうだよ。やめたくなる』
私『仕事あるだけいいじゃん。私またニートだよ』
姉、爆笑。

こんな感じで楽しく笑えるのも、互いにないものを補っているのかもしれない。