本来無一物

本来無一物

時に極端に、時にふらふら〜と生きている日常を綴ってます。

時を経て愛される

私は愛情に関して少し鈍い。
今まで恋に恋したことは何度かあるけれど、他人を本気で愛したことは残念ながらない。
それは絶対幼少期の愛情不足(単なる卑屈精神とも言える)が原因だと思う。
父は育児放任主義、母は障碍のある娘と絶賛反抗期の娘、そして祖母の介護で手いっぱい。
どうせ私なんか誰も見てくれないという卑屈精神はやがて年頃になってくるといつか私を大切にしてくれる誰かが来てくれるという幻想に代わり、20代になりそんな夢は訪れないという現実に到着した。
今でも自分に注目してよー!!っていう感情が負のオーラを放って周囲に浴びせてしまうことがあるのでそこをぐーっとこらえる練習をしています。
負のオーラは自分も周囲も幸せになれないのでね。
そんなこんなで人に依存しない精神を貫いていたわけなんですが(意地でそうしたわけではないのですが)最近では愛される時期とかタイミングっていうのもあるのかなと思い始めてきました。
というのも大人になってある程度の欲を自分で満たせるようになって、ふとした瞬間に家族や友達を思い出す。
自分はもう満足だから誰かに何かをおすそわけしたいという気分になるんです。
それまでは自分に注目して!見て!という承認欲求がとても強かったので、自分に得になることをしてくれない人は冷ややかな目で見ていました(最低なのは自覚しています)。
でも余裕ができると他人の承認欲求に気づいた時に少しでも役にたてるかなって意識に変わります。
大きなことは出来ないので話を聞くぐらいですけど。
そうやって話を聞いて一番理解できたのは家族の愛情不足。
私も寂しかったけど、みんなも寂しかったのね。
両親も愛情不足だったために、子供も愛情不足になって今も苦しんでいる。
大人になって私ができることが増えて少しでも親の支えになることをしてあげたら、親の顔がほっとした表情になった。
子供の時はもちろん寂しかった。
愛してほしかった。
でも親もそうだったんだね。
それに気づいたら自然と蟠りが薄れていきました。
この歳で漸く愛情は循環させればいいんだって気づいた。
その結果両親との関係は以前よりも良好になった。
そういえば数年前占い師さんに『あなたは依存欲が強い』と言われた。
人に依存しない精神貫き真っ最中だったので当てはまらないと思ったけど、今思えば承認欲求の強さってそれだけ他者に依存しているってことだよね。
そういう意味ではかなり依存欲は強いでしょう。
また別の占い師さんには『人に発信、届ける時期に入った』と言われたこともある。
これはまさしく愛情なのでは?と思う。
何かしてもらって当たり前ではなくて、自分がする番。
この占いの後に母親に『愛しているよ』と初めて言われた。


愛されていることに気づくにはそれぞれのタイミングがある。