本来無一物

本来無一物

時に極端に、時にふらふら〜と生きている日常を綴ってます。

はっきり正直に言う

正直でバカをみるというように世渡り上手の方は嘘も方便をマスターしている。
それが社会で生き抜くことだと思う。
でも禅では嘘はいけないことだと教えている。
現に私は嘘が苦手で嘘をつくたびに自分を押し殺している感覚に陥っていた。
電話が大の苦手でたとえ身内であっても電話は嫌いだ。
末っ子のせいか他人の世話も苦手。
人の世間話や愚痴はとても聞きたくないのでテレビの情報番組はほとんど見ない。
コメンテーターが誰々を批判したり当事者に立たれている方の言い訳だったり。
学生の頃は毎朝ニュースがつけられていたので事故や事件の話で朝からまいってしまっていた。
私以外の家族はテレビをBGMとしているんだけどなんで見もしないのに不愉快なテレビを流してわざわざ電気代を発生させているのか意味がわからなかった。
一人暮らしになってからはテレビをつけることはあまりなく、好きな芸能人の番組を見るくらい。
さて話を戻し結論を言うと、自分の感情を押し殺すことも大嫌いということだ。
人から電話がくる。
連絡が来る。
話したい様子である。
そういう時は決まって自分が聞き役に回ってきた。
本来の私はどうでもいい話なんて聞きたくないのに。
これが『久しぶり!今度○○行こうよ』という理由がはっきりとしたものなら全然嫌じゃない。
その○○に行って実はね、と相手が相談をもちかけたり、最近の生活を話す分にはコミュケーションだと思っているし、不快ではないんだけどね。
でも単に自分が寂しいから、暇だからってだけで連絡をする人もいる。
そういう人との会話はいわば私はツイッター
呟かれ、感情をぶつけられるのみ。
心の毒以外の何物でもないのに、我慢我慢我慢。
じゃあ自分も話せばいいでしょ、というのが相手の解釈なのかもしれないけど、そもそも電話が嫌いなんだって。
暇だからって電話しないのよ私は。
対面ほど嬉しく楽しいコミュニケーションはないと思うけどね。
ましてや難聴のため、電話は聞き取りづらく神経を使うため二重のストレス。
電話は緊急の時の場合では駄目なの?
仕事、相手の体調不良、本気の相談。
そういう時のツールでよくない?


・・・と、相手批判になってしまうのを防ぐため、ちゃんとはっきり言うことにしました。
電話ではなくて、メールがいいとかね。
相手の声を聴きたいとかそういう意味もあるのかもしれないけど、1時間もの時間を奪ってはいけませんというのが私の持論です。
電話は10分以内にしたいです。
誰かの役に立てればと堪えてきたけれど、本当に体の毒になってしまったのではっきり言う方が両者のために良いはず。
堪えている時点で役になんてたててませんから。
最近よく本を読むおかげで少しずつ心が解放されていきます。