本来無一物

本来無一物

時に極端に、時にふらふら〜と生きている日常を綴ってます。

暇が続くとそれも辛い

語彙力があるって素晴らしい。
子供の頃は想像力豊かで本もよく読んでいたから言葉の感情表現が豊かだった。
でも今は心の感情も鈍くなったせいか言葉も鈍くなり大抵、嬉しい、辛い、面倒くさい、すごい、とか。
数多くの言葉や表現が存在しているというのになんで幼稚園児に毛が生えた程度の言葉しか言えないのか。
多分、堅苦しく思われるのが嫌だったんだな。
もともと生真面目で絵に描いたような優等生に憧れていたところがあって、成長するとともにそれは『ウケない』ことに気づいて方向転換した。
その方向転換は自分のアイデンティティを脅かされたためであって、今思えば本意ではなかったのだと思う。
今でも本質は生真面目だし、美しいものには憧れがある。
人から見れば重いことが大切であったりする。
きっとそういうことを包み隠さずオープンにさらけ出したままでいたらあのまま言葉は発達して豊かな語彙力を持っていたんじゃないだろうか。
なんでパソコンで入力すると言葉が出てくるのに実際話すとなると全然出てこないんだろう。
言葉って退化するよね。


なんてことを考えるほど、現在暇です。
暇すぎて毎日何をすればいいのかわからなくて困っています。
だから一日一冊のペースで本を読めるようになりました。
数えてないけどたぶん仕事を辞めてから30冊以上は軽く読んでいると思われる。
症状はよくなったり悪くなったり。
一進一退を繰り返しています。
これが落ち着いた期間が長くなれば社会復帰もできるんだけどなぁ。
今のうちにできることと言ったら社会人のマナーやパソコン事務の勉強とかだろうか。
でもそういうのってたとえ暇でもやりたくないものだよね(笑)
今までが特殊な仕事についていたからある意味社会人のマナーができていなくても体力気力さえあればできたけど、事務に挑戦するとなるとそうはいかないでしょうねぇ。
上座下座とかお部屋によって違うじゃない。
そもそもそういう勉強は必要ないのかもしれないけど、何が必要で何が不必要なのかもわからない。
それで面倒くさくなってまた本に逃げる。
そのうち本に飽きたらテレビ、そしてまた本の無限ループ。
いい加減飽きました。
早く良くなっておくれ、私。
あれほど休みたいと思っていたのにいざ休むと働きたくなる。
残念ながらまだ体力が戻っていないけれど。
とにかく暇です。