本来無一物

本来無一物

時に極端に、時にふらふら〜と生きている日常を綴ってます。

人生は暇つぶし

最近行き詰まっていて、頭に靄がかかったように不鮮明になっていました。
先日は一日の大半を寝て終わるという無駄な時間の使い方。
でもポジティブな見方をしたらそれほど私は疲れていて、身体を休める必要があったということ。
躁鬱とは怖いものでポジティブな時とネガティブな時では人がかわったように考え方が違う。
でもそれは私という人間の中に二面性があるように思えて、学びにつながるときもある。
この私はこんなことを思えて、この私は違う考え方をしている。
いわば二つの視点を見られるようなもの。
私の性格が私を苦しめる一方で病気が私を救っていることもある。
何が言いたいのか自分でもわからないけど、狭まっている視野が開きだしている気がする、と思うのです。

 

いろんな本を読んで、いろんな言葉に救われた。
『人生は暇つぶし』
『人生は棒に振っていい』
なんて極論。
でも生きづらいと窒息しそうな私には光のような言葉。
せっかく生まれたのにすべてを無駄遣いしているようにしか思えない私の人生。
むしろ他人の人生に翳りを落としているとさえ思ったけど、それって自意識過剰ね。
他人はそこまで私に興味も関心もない。
そう思ったらほっとする。
私にとって人生は暇つぶしだと思えたら、とたんに楽になってあれもやりたい、これもやりたいって思えるようになった。
昔はもっとやりたいことも多かったけど、今はそんな体力も気力もなくて、そんな自分を受け入れちゃっていたから。
また向上心が芽生えたのはいい兆しなのかもしれない。
それに暇つぶしならどんな失敗でも許せちゃう気がする。
人に迷惑しか与えていないと今でも思うけど、私自身が暇つぶしの真っ最中ならそんなに深く考える必要はない。
気楽に考えればいいのだから。
私の人生をよりよくしたい。
その思いが私を苦しめることもある。
そんな時は人生は暇つぶしよ、って自分に言い聞かせる。


ブログにも、ノートにも、言葉にもできない考えがある。
いつもそれを考えた時、生きているこの一瞬を大事にしなくちゃと思う。
適度に気の抜けた、それでいてその時のベストな暇つぶしをしたいものです。