人生を楽しみます

アクシデント発生⁉︎

 

そんなこんなで温泉旅行を楽しんでいます。

昨日はお寺に行き、美味しいソフトクリームを食べ、海鮮を食べては温泉につかり癒された。

 

 

いやー自分では信じられない行動力を発揮してます。

元来末っ子気質、引っ込み思案なため行動力は皆無なのだけれど、昨日はバスの運転手に話しかけたり(バスが合っているか確認しただけ)、旅館の方に必要事項を聞いたり、今日のスケジュールを立てたり。

こんなにもアクティブに行動しているとなんでもできるんじゃないかと自惚れる。

あと姉と行動していると姉が結構抜けている時があるので必然的にしっかりした役割を担うことがある。

だから過信していたのだろう。

 

予定通りの電車に乗り、出発するその時、私のipod touch がないことに気づいた。

旅館を出る前までは持っていたのに、入れていたリュックのポケットにない!

これは落としたと思って、急いで電車を降りたと同時に扉は閉まる。

間一髪…と思った時に私はジーンズの違和感に気づいた。

もしやと触った時、愛するipod touch の感触が。

そして目の前を通過する、電車。

 

 

…もう、ひたすら姉に謝った。

追い討ちをかけるように、次の電車は40分後。

完全な時間ロス。

なんのためにたてたスケジュールだ。

すでにその駅では買い物を済ませてあるし、あまり見て回れるショップもない。

半端ない落ち込みに耐えること40分

目の前に現れた電車に私と姉は一瞬固まる。

 

…あれ?ホーム間違えた?

 

現れたのは普通の電車ではなく、見た目新幹線。

しかし、きちんと『普通 〇〇行き』と表示されている。

時刻も行き先も同じな為に乗り込んだその電車は、間違いなく私達の乗るべき電車なのだけれど。

ただ、感覚がまるで違う。

見た目同様中も新幹線。

ボックス席があり、広告が大量に貼ってあり、造花まで飾ってあるその新幹線改め電車に私と姉の興奮はピーク。

窓がとても大きいので景観も最高!

これで普通車と同じ値段なのだから40分のロスも許せちゃう!

 

ウキウキしながら1時間の乗車時間も楽しみました♪

 

ぼちぼち旅行の日記みたいなものを上げていきたいと思います。 

 

毎年恒例誕生日前の憂鬱

 

誕生日前になると毎度テンションが落ち、当日は鬱になる私。

 

実家が貧乏だったので誕生日は暗黙の了解で『忘れたふり』をするのが恒例の出来事だった。

友達がいればまだ満たされていたかもしれないけど、なんせ元ひきこもりニートの現在進行形コミュ障。

祝ってくれる友達も家族もいなかったことで、誕生日は一年で最も嫌な日となった。

そんなトラウマを抱え続けたまま大人になり、今日で26になる。

 

未だに誕生日は嫌い。

でも上京して、変わりたいと思い始めて、少しずつ自分の中で整理がついてきたのか今年はいつもと違う。

 

実は一昨年から姉が誕生日を一緒に過ごしてくれているのだ。

ひねくれ者の私は一昨年のディズニーシーは楽しめず(あまり夢の国に興味がなかった)、去年の温泉旅行は旅館の方が祝ってくれたにも関わらず曖昧な反応しか出来ず(誕生日を祝ってもらうのなんて久しぶりで反応の仕方がわからなかった)、満たされない心のまま終わった。

でも、今年。

一昨年、去年のことを『感謝』できるまでに心が成長したみたいだ。

毎年、友達のいない私のために一緒に過ごしてくれてありがとう、と姉に。

初対面の客のために誕生日を祝福してくれてありがとうございます、と旅館の方に。

そういう心境に、実は一昨日なった(笑)

一昨日まではまた嫌な誕生日がやってくる…と思っていた。

 

でもそんな暗い気持ちでいつものように夜ご飯をコンビニに買いに行った時、ふと思った。

買ったものはたこ焼き。

今食べたいものを、食べたい時に買える人間に、私はなれた。

食べたいものはおろか喜びも悲しみも我慢していたあの頃はもうとうに過ぎ去っていたことに気づいた。

大げさに言えば欲しいものを自分で得られる環境になったことを実感した瞬間、本当の意味で満たされた。

 

祝ってくれる友達はまだいない。

でも、自分次第で友達は作れる。

第一誰かの誕生日を祝ってあげられる人間に自分がなっていないことが問題だ。

 

誰かの誕生日を祝ってあげられる人間に私はなりたい。

今まで楽しめなかった分イベントを楽しみたい。

 

今年の誕生日も幸いなことに姉が温泉旅行を計画してくれた。

本当は北海道旅行に行くつもりが計画が面倒くさくて去年と同じで妥協した(笑)

 

でも一昨日から気持ちがガラリと変わったおかげで、楽しもうという気持ちが強く、ガラにもなく、自分で行きたいところを計画!

 

今年は去年までと全然違う。

誕生日は『楽しみな日』ではないけど、『楽しんだ日』にしたい。

それは自分次第でどうにでもなること。

ということで、今日は楽しみます!

 

コミュ障、〇〇年ぶりのデートに行く

今年も半分を過ぎて漸く気分も上がってまいりました。

半年サイクルで回復するんだろうか?

気分的な問題なのか、本当に回復するのかはわからないけれど、今は向上心がめきめきとあがっている。

競争心と劣等感が戦っていた先月までと比べ、自制心と向上心がいい意味で加わって精神的バランスはいい感じ。

きっと先日お姉さんと会ったことでいい刺激になったのだろう。

 

あと、最近漠然と抱いていたことがあって、それは『人生は一度きりだから何事も挑戦してみるべきではないか』ということ。

今のまま(引きこもり)でも、十分幸せだけれど、それ以外も挑戦すればもっと幸せになれるかもしれない。

多くの書籍には20代ではtry &errorと記されていて現段階で言うと私は言うほどそんな人生を歩んでいない。

そもそもそういう挑戦をするためにこのブログを始めたというのに!

いつのまにかこんなに月日が経っていたので、慌てて慣れない行動をとっています。

 

前置きが長くなったけど、そんなこんなで、今日久しぶりに、本当に久しぶりにデートしてきました。

恋愛の仕方なんて完全に忘れてしまってまったくドキドキすることもなかったけれど、初対面の人間を観察(?)するという点では勉強になったかな。

一人に慣れすぎると相手に合わせるということがなくなってしまって、わがままになってしまう。

今日過ごしてくれた方はとても優しい人で、無邪気で純粋な感じがした。

私とは違って純度100パーセント、眩しい人だ。

年下ということもあって、どうしても今まで私が会ってきたようなリードしてくれるような男性タイプではないんだけど、そこを比較してしまうのはむしろ私の器の小ささの表れだと思って気にしないことにした。

末っ子気質、依存タイプの私にとって年下の彼は自らリードしなくてはいけない人で、新たな引き出しを無理にでも出さないとうまく付き合えない。

でもいい人だ。

こんなひねくれ精神丸出しの人間に対しても誠実な対応。

彼の方が絶対人間できている。

恋愛に発展するかは怪しいけど、コミュ障の私にとってはこれ以上ないほどのベストフレンドになれる予感。

 

 

彼とは今月また会う予定。

次はどうなるか・・。

二回目で会話を盛り上げられるかがおおいに不安である。

ちょっと無理した人付き合い

 

最近変わりたいなとよく思う。

私の変貌願望(?)は今に始まったことではないんだけれども。

 

最近は仕事も落ち着いて気持ち的に余裕があるので、尚更そんなことを感じるんだと思う。

漸く自分を客観的に見ることが出来て、ちょっと最近の私は酷いな、って。

素の自分でいるのは楽だけど、このまま意固地の私の貫くのは周りにもとても迷惑なのではないか。

何より成長がない。

 

ということで、先日よくしてもらっているお姉さんと食事に行ってきました。

珍しく私から連絡して、場所も決めて。

いつもは超受け身なんだけど慣れないことをしてみた。

新たな引き出しをとても欲している時期なんだと思う。

 

今年に入ってから人付き合いがグンと減った。

でもこうして人と会うと柔軟性を得られるようになるね。

今のわたしが欲しいのは柔軟性。

それは一人ではどうしても得られない気がする。

だからちょっとだけ無理して普段ならなかなか出来ないことをあえて挑戦してみたい。

お姉さんはとても柔軟性のある人。

あまりにも人に合わせるものだからこの人には芯がないのかと思ったら(失礼)、お姉さんはいろんな人と会ってその人たちの個性、感性に触れるのが楽しいそうだ。

あの人はこんなことを思っているのだけど、この人はこんな風に思っている。

そういう発見をするのが好きで、多くの人に会っているみたい。

それこそ私には微塵もない感性である。

人付き合いがそもそも嫌いな私にとってお姉さんの感性は目から鱗。

そして素敵だなって思った。

 

自分を変えるにはこうして時には無理してみることが必要なんだな。

 

ということで、次の休みにはプライベートでは初めての人と食事に行こうと計画中。

 

 

 

大エルミタージュ

かなり前に六本木森美術館で現在展示している大エルミタージュ展に行ってきました!

 

こういう芸術品って興味があるけどなかなか(一人で)行けなかった。

だけど今回姉がチケットを持っていて一緒に行くことに。

 

様々な年代、国、画家の絵が展示されていた。

思ったのは宗教画が本当に多いこと。

面白いのは同じキリスト、聖母マリアを描くにも人によってイメージが全く異なる。

もちろん外見も違うし、それによって観る人の解釈も全く異なる。

 

絵は画家の癖が強く出る。

それは好き嫌いに発展しそうだけど、その中で作品そのもの主張しているものは目を引くね。

 

私は興味のある絵だけをじっくり観て、他はざっくりだけど姉は全てをじっくり観るタイプ。

違うタイプの人と観るのも面白いものです。

自分では気付かなかったんだけど姉に『あんた絵でも鳥が嫌いなんだね』 と言われた。

確かに私が興味を惹かれるのは人物画で、それ以外の風景画には全く惹かれなかった。

ちなみに私はリアルの鳥が嫌いである。

今度から人物画以外の美術館に行くのはやめよう。

 

貴重な体験をできました。

 

ふと口ずさんでしまったアンパンマンマーチ

『何が君の幸せ?

何をして喜ぶ

わからないまま終わる

そんなのは嫌だ!』

 

 

日本中のほとんどの人間が歌ったことのある『アンパンマンマーチ』。

けれどあまりに幼少期の記憶なので私は間違った歌詞で覚えていたことをつい最近まで気づかなかった。

正しい歌詞は上に書いてある通りなのだけど私は、

『何億分の幸せ?

何をして作るのか

わからないまま終わる

そんなのは嫌だ!』

・・・だとずっと間違って覚えていた。

だから正しい歌詞を見て驚いた。全然違うじゃん!って。

ていうかこれほど有名な歌詞を10数年間間違っていた私もどうかしている。

改めて正しい歌詞を知って、本当に素敵な歌だと思った。

 

一番は『何のために生まれて 何をして生きるのか』っていう自分のための歌詞。

二番は『何が君の幸せ 何をしてよろこぶ』っていう他者のための歌詞。

世界は自分一人では回っていないということを伝えているとともに、この世界の一員として自分自身しっかり生きていかなければいけないと伝えている気がする。

 

 

10代の頃は自分よりも他者を優先せざるを得なかった私。

20代になり生きることの喜びを知った。

漸く自分の中の渇きを癒すことができて、だけど今も癒せない渇きは存在していて、日々の環境、状況によって精神が変動している。

そんな時、ふと無意識にこのアンパンマンマーチを口ずさんでびっくりした。

ややこしいことをごちゃごちゃ考えて苦しんで。

でもこの歌詞はとてもシンプルで、それでいて深い。

自分が何のために生まれてきたのか。

この問いを私は本当に小さい頃から抱き続けている。

きっと少し複雑な過程環境だったからこそ抱いてしまった問で、『意味』がなければ生きられないとずっと思ってきた。

それが成長して『意味』がなくても自分が楽しければいいと思えるようになった。

でも心の中でずっとそのことに罪悪感を抱いていた。

罪の意識を一時でも忘れさせてくれる『楽しさ』だけで生きていくにはあまりにも私の人生は薄っぺらいんじゃないか。

正義とか大義とかそういうものを意識しなければいけないんじゃないか。

でも自分のために正義、大義を掲げるのはあまりにも偽善ではないか。

そもそも良心というものが私には欠けているんじゃないか。

考えれば考えるほど、心の中もゴチャゴチャ。

見返りを求めてしまう自分の卑しさに嫌悪。

それらすべてをシンプルにしてしまう、『アンパンマンマーチ』。

心が救われる。

きっと私の心のゴチャゴチャはすぐには整理できるものじゃない。

この先何年もかけて片づけていく問題。

それまでは『アンパンマンマーチ』を歌いながらシンプルに生きていきたい。

いい大人がこんなことを思うのはおかしいかもしれないけど、私もアンパンマンのようになりたいよ。

ヒーローにはなれなくても、誰かのために動ける笑顔でい続ける存在でいたい。

アンパンマンって、本当にみんなのヒーローだ。

ミュージカル 『PARADE』 観劇

先日、石丸幹二さん、堀内敬子さん主演のミュージカル『PARADE』を観に行ってきました。

チケット代がなかなかお高く行こうかずっと悩んでいたけど、元劇団四季の二人だし・・・ととりあえずチケットを取って行ってみた。

私の初舞台観劇は14歳のときに見た劇団四季の『ライオンキング』で、劇団四季には並々ならぬ思いがある。あの舞台を見たからこそ、今舞台を好きになった自分がいる(でもそれ以来劇団四季を観に行ったことはなく、今年10年以上ぶりに観に行く予定)。

結果、とてもよかった。

よかった、なんて言葉で片づけたくないくらい頭から離れない。

夫婦の絆、人間の欲、差別。人間という生き物をとことん突きつけている作品だと思う。

一人の少女が殺害されたことで、多くの人間ドラマが展開する。

エリート思考でプライドが高かった主人公、レオ。お嬢様で世間知らずの妻、ルシール。

特にこの二人が私は好きだったな。

当初は価値観があまりにも違っていた二人だけど、レオが殺人犯にしたてあげられたことによって、関係性まで大きく変わっていく。

表面上は良い夫だったレオだけど、内心は自分のことしか見えていなくて、ルシールが外でどれだけバッシングを受けているかなんて全く考えられないし、辛いのは自分なんだと責め立てる。

ただの純真な女でしかなかったルシールだけど、レオを守るために変わっていくんだよね。

レオは信じてはくれなかったけど、レオを守るために奮闘して、知事の人生まで変えてしまう。

ルシールの勇気ある行動のおかげで、レオは『一人じゃなくてよかった』って思えるくらいに成長する。

この感情を石丸さんが見事に歌いあげていて、本当に『よかった、レオ』って私は思ったよ(ちなみにこの作品がどんな内容なのか知りませんでした)。

一方ルシール演じる堀内さんの力強さはすごかった。

『女性』という生き物そのものな感じがした。

柔和で穏やか、その分守ってあげなきゃいけないような儚さがあるかと思ったら、すっ飛ばして母性全開みたいな感じ。

無邪気な幼少期、複雑な思春期、何もかも包み込む成熟期。ルシールという役にすべてが詰め込まれている気がした。

かわいくて優しい部分、レオの言葉やバッシングに傷つく部分、怖いものは何もないと思えるほど、愛する人のために奮闘する部分。

ここが見事に表現されていたからこそ、レオの繊細さが生きたと思うよ。

これ、ルシールが下手だったら、レオまで足引っ張られてただ自分勝手で弱い男に見えたと思う(都合のいい時だけ女性に甘えるような男にね)。

夫婦の絆や愛がとても美しいものだと思えた瞬間はお二人の演技力の賜物です。

 

けれど運命は残酷で、二人のそんな幸せのひと時すら奪ってしまう。

レオの最期があまりにも悲しい。

なんであんな目に合わなくちゃいけないんだ、って思ってしまう。

でもそうするにはそうするだけの理由があって、やりきれない感情の末路があれなんだ。

戦争を含めて人の命を奪うって、それだけ人の良心や尊厳というものを歪めてしまうんだろうな。

最後のシーンで民衆がパレードを楽しむ中、ルシールは唇を噛み締めて必死に耐えているの。

ルシールにとって夫を奪ったのは故郷であって、その故郷でずっと生きていく決断は相当な覚悟がいると思う。

力なくパレードを横切り、最後それを見つめるルシールの眼差しが忘れられない。

悲しいのに強い眼差しをしていた。でもそれは憎悪ではないように私は思う。

そういう人間の性がテーマのこの話だからこそ、ルシールはそういうものと戦う強さを持って、最後あんな眼差しをしたんじゃないかな。

 

演技も歌も、文句のつけようがなく…というより鮮明に焼き付いてしまってどうしても離れなくて結局もう一度行きました()

2回目は当日券を入手するために並んだよ・・。

2回目は1回目よりも内容が理解できた分、最初から泣きそうになった。

皆さんなんであんな歌も演技も上手なんだろう。

プロローグからして魅了する歌声だよね。

全てが一体感を持った作品。

誰か一人が良いとかじゃなくて、全体のクオリティが恐ろしく高い。

 

 

余談だけど、主演のお二人、劇団四季で相手役を演じたことが何度かあるばかりじゃなく、同期入団らしい。

プライベートと演技は全く別物だと思うけど、この二人にしか作れなかったレオとルシールだと思ってしまう。

専門的なこともお二人の関係もわからないから完全に感覚で話しているけど、そう思う。

 

 

本当に素晴らしい作品だった。

同じ舞台を何度も観に行く人をまったく理解できない側の人間だったのについに仲間入りだよ()

パンフレットなんていらない主義だったのに買ってしまったよ()

 

いやー・・本当に素晴らしい作品だった。

また観たい。