本来無一物

本来無一物

時に極端に、時にふらふら〜と生きている日常を綴ってます。

共感してもらえたことで反省も出来る

今日は仕事で大きなトラブルを起こした。

小さなミスが最近増えてきている。

理由はわかっている。

ビクビクしているから。

最近同僚との関係が良くなく、それで雑念が多いから集中力散漫になっている。

 

メンタルの問題って本当に厄介。

強靭なメンタルか、ぶれない集中力が欲しい。

 

同僚の方は本当に困った顔をして呆れてもいた。

けれど図々しいことに私は自分のせいではないと思った。

トラブルを起こしたのは確かに私なのだけれど、いつものやり方をしだけなのだ。

特別雑にしたわけでも、乱暴にしたわけでもない。

いわばそういうタイミングだったのではないかと思った。

しかし最近のミスの多さで信用は失墜。

これは自業自得である。

ましてや損害やデメリットも生じる。

だから職場の雰囲気は険悪。

 

でも別の同僚に凹んでると話したら『仕方ないよね。どうしようもないし、結衣さんが悪いわけじゃないよ』と言われた瞬間、ハッとした。

私は共感してもらいたかっただけなんだ。

でも社会人になると叱られることは多いけど共感してもらえることはなかなかない。

だから私みたいな性格の人間はどんどん卑屈になっていた。

本当に恥ずかしいことである。

そこで漸く自分がどれだけ迷惑をかけたかわかったし、そう言ってくれた同僚の方が今までどれだけ優しかったか知った。

 

実はこの同僚の方、少し苦手だった。

言い方がキツイ上に上から目線なところがあったから。

でも彼女が優しいことなんて入社してすぐにわかっていたはず。

私がみんなの顔を覚えられず挨拶が遅れた時に、『挨拶しようよ』と歩み寄ってくれた。

あの時は上から目線なんて感じなかった。

緊張している私に気づいているかのような声音だった。

今回も、同じだった。

 

やっぱりまだ自分は未熟なんだなと痛感した。

 

自分の悪いところも認めなくちゃいけない。

社会人になったら自分は悪くないなんて意地を張りすぎるのはよくない。

折れるところで折れるのもまた大人なんだろうな。

 

 

共感してもらえたことで、とても心が軽くなった。

ちゃんと反省できてよかった。

問題はまだ解決していないから、最後まで責任を持ちたいと思わせてもらえたことに感謝。

ちゃんとその責任に向き合おう。

 

 

…でもやっぱり叱られるのは怖いです( ;∀;)

 

縁って不思議

 

今年に入ってからローテンションというのは何度かブログにも書いた。

当然素のわたしが引きこもりを望んでいる。

積極的に誰かを誘うこともできなくて、ただ自分の殻に閉じこもる。

 

そんな時ふと、去年交流を持った方に会いたいなと思った。

けして人の悪口を言わず、おおらかな気持ちを持った方。

今の私に対して的確なアドバイスをくれる気がした。

彼女にだったら相談できるかもしれないと思った。

 

しかし絶賛負のオーラを撒き散らしていた時だったのでやっぱり自分からは連絡できず…。

そんな時、まさか向こうから連絡が来た!

今度ご飯に行きましょうという何気ない言葉だったけど、ジーンときたね…。

 

きっとこのままいつものようにフェードアウトしていくんだろうなと思ったけどまさか向こうからきてくれるなんて!

残念ながらその月は予定が合わず、今月になってから私から誘ってみた。

それも残念なことに今度はあっちの都合が合わず…。

 

でも会いたい時に会いたいって言える存在なんだと思ったらすごく嬉しかった。

今は予定が合わないけど舞台を観にいく約束もできた。

 

最初は社交辞令でご飯に行きましょうなんて話していた私だけどまさかこんなにも彼女を信頼するようになるなんて。

 

縁って不思議。

困ったらGoogle先生

 

大人になってから『いろんなこと知ってるよね』と言われることがあった。

私としては『ええっ!?どこが!』なんだけど。

ピスタチオを知らなければ幕張メッセも知らなかった私は博識から遠い人間だ。

というより一般常識から程遠い人間である。

それでもなぜなんでも知ってると思われたかは簡単。

何気ない会話で知らなかったり興味があるとなんでも調べてしまうから。

最初は生きて行く知恵として調べていたんだけど、なんせニート期間が長いと暇になりただ意味もなく検索マニア化して今に至る。

知り合いの好きなアイドル、韓流、芸能人、本、作家。

主にゴシップマニアになっていたけれど(笑)

 

そんな検索マニアになって得したことはたくさんある。

本当にたくさん。

私はヤフーとGoogleを第二の両親だと思うくらいお世話になっている。

 

どんなことが助かったかと思う1番は一般常識。

私の実の両親は無知だった。

それでものすごく苦労して苦しんだ過去がある。

例えば奨学金、特待制度のこと。

申請には親の職業について記入することがある。

親の職業は知っていても、当時親の仕事はグレーだったので、私は記入の仕方がわからなかった。

母親に相談したんだけど、親の言っていることがわからず、とりあえず親の言われるままに記入したら案の定学校では通らず、それを親に伝えたら逆ギレ。

結果、わからないことは全部ネットで調べた。

ネットなら匿名で、恥ずかしい思いをしてもネットの中でだけ。

 

 

いつしか親からは『親よりもネットの方を信じるのか』『ネットで調べれば?』と言われるようになった。

多少傷ついたけど、やはりネットを使い続けた。

誤魔化せばなんとかなると思っている親のようにはなりたくなかった。

 

今でもわからないことはネットで検索する。

ただ今となっては寝坊した時の対処法とかどーでもいいことを検索しちゃってるけど(笑)

 

わからないから嘘をいうより、言い訳するよりはネットで調べた方が確実だし早い。

 

 

要は使い方次第ですよ、ネットも。

 

だから私は今でも困ったらGoogle先生を頼っています(笑)

辛い時こそ感謝できる

気分が落ちてるなー、繊細になってるなーって思う時って日々のありがたさがわかる気がする。

大抵朝は機嫌が悪くて誰とも話をしたくないんだけど、私がイライラしても姉が明るく『行ってらっしゃい』と言ってくれた時、素直に姉はすごいなぁって思えた。

同時に感謝。

気持ちが楽になる。

 

そして通勤途中に朝から灯油を運んでる初老の女性を見るとこれまたすごいなぁと。

朝から重労働ですよ。

私だったら絶対後回しにする。

 

昨日の話だけど、夜ご飯が面倒で外食で済ましたら、いかにも冴えない中年の夫婦が来店された。

身なりもとても綺麗とは言えないし、そもそもファストフードの店。

同世代のご夫婦ならもう少し良いお店に行きそうだな、なんて失礼にも思った。

けど、そのご夫婦は終始仲がよさげで、ビールが運ばれると笑顔で乾杯をしていた。

その時とても良いものを見れたと感じた。

安いお店だし、身なりもこれといって整っているわけじゃない。

それでも同じ目線、同じ価値観の人と夫婦になれて笑顔でいられるのは、とても幸せなこと。

少なくとも高価なお店で味もわからないでおどおどし、相手に合わせて無理をするより幸せなことだろう。

 

今の私は自分の悩みで精一杯になっているけど、幸せって本来たくさんあるんだ。

悩んでる選択をしているのは私でとてももったいない。

 

だから素敵なものに目を向けて自分のエネルギーを蓄えよう。

 

日々感謝!

苦しい。そんな日もあるさ。

またまた久しぶりの更新となります。

 

何が原因なのか去年から気分の浮き沈みの激しい流れが続いております。

 

大抵理由は仕事。

何故自分はこんなにも要領が悪いのだろうと悲しくなる。

負けん気や努力する姿勢はある。

というよりそれを捨てると本当に取り柄がない。

他者の冷静さや要領の良さを羨ましく思い若干嫉妬する。

私だって頑張ってるのに、なんて思っちゃって自己嫌悪。

 

今日ついに一緒に働く人から『これからはできてないこと言うから』と言われた。

私としてはもっと前に言って欲しかった。

新しい人が入ってわかりやすく戦力外扱いされるのは結構キツイ。

そんなプライド捨ててしまえ!

やる気だけ見せろ、と自分を奮い立たせるけどやっぱりへこむ。

呆れる前に注意してほしいと思うのは私の我儘なんだろうか。

こっちがどんなに歩み寄っても仕事中やちょっとした合間でも突き放されたらもうそこまでな気がする。

相手も注意をするのは嫌だろうし言いにくいと思う。

それはかつて人を指導したことが私にもあるからわかる。

でもそれこそ仕事のことを考えれば嫌われようがなんだろうが駄目なものは言うし、逆に円滑に進むようにコミュニケーションをとらなくちゃいけないと思う。

そのどちらが欠けても駄目だと思うのに、現実は欠けちゃうことばかり。

 

 

幻滅しちゃってるのは私の方かもしれない。

 

存在を無視されるのも頼りにされないのもお荷物になるのも嫌。

だから自分を変えなくちゃ。

 

いろいろと話を聞いてみると自分で思うより人を見れてないし、気遣いもできていないようである。

きっと私が気を使ってるのは自分自身。

見ているのも自分自身。

本心は別として、仕事だけでも他人のコピーを本気でしなくちゃいけない。

こう思えたのは上司の方が教えてくれたから。

相手の動きをよく観察して取り入れてみて、って。

私にはとてもわかりやすいたとえで、そしてその人は私が安心しやすい飴と鞭を使いこなす人だ。

 

 

人と自分の長所と短所は違うけど、残念ながら求められることは一緒で同じ分。

当然得手不得手があるけどそこを割り切れないのが社会なんだろうな。

そんな社会ですら受け入れられる、強くて広い心が欲しい。