本来無一物

本来無一物

時に極端に、時にふらふら〜と生きている日常を綴ってます。

ちょっと無理した人付き合い

 

最近変わりたいなとよく思う。

私の変貌願望(?)は今に始まったことではないんだけれども。

 

最近は仕事も落ち着いて気持ち的に余裕があるので、尚更そんなことを感じるんだと思う。

漸く自分を客観的に見ることが出来て、ちょっと最近の私は酷いな、って。

素の自分でいるのは楽だけど、このまま意固地の私の貫くのは周りにもとても迷惑なのではないか。

何より成長がない。

 

ということで、先日よくしてもらっているお姉さんと食事に行ってきました。

珍しく私から連絡して、場所も決めて。

いつもは超受け身なんだけど慣れないことをしてみた。

新たな引き出しをとても欲している時期なんだと思う。

 

今年に入ってから人付き合いがグンと減った。

でもこうして人と会うと柔軟性を得られるようになるね。

今のわたしが欲しいのは柔軟性。

それは一人ではどうしても得られない気がする。

だからちょっとだけ無理して普段ならなかなか出来ないことをあえて挑戦してみたい。

お姉さんはとても柔軟性のある人。

あまりにも人に合わせるものだからこの人には芯がないのかと思ったら(失礼)、お姉さんはいろんな人と会ってその人たちの個性、感性に触れるのが楽しいそうだ。

あの人はこんなことを思っているのだけど、この人はこんな風に思っている。

そういう発見をするのが好きで、多くの人に会っているみたい。

それこそ私には微塵もない感性である。

人付き合いがそもそも嫌いな私にとってお姉さんの感性は目から鱗。

そして素敵だなって思った。

 

自分を変えるにはこうして時には無理してみることが必要なんだな。

 

ということで、次の休みにはプライベートでは初めての人と食事に行こうと計画中。

 

 

 

大エルミタージュ

かなり前に六本木森美術館で現在展示している大エルミタージュ展に行ってきました!

 

こういう芸術品って興味があるけどなかなか(一人で)行けなかった。

だけど今回姉がチケットを持っていて一緒に行くことに。

 

様々な年代、国、画家の絵が展示されていた。

思ったのは宗教画が本当に多いこと。

面白いのは同じキリスト、聖母マリアを描くにも人によってイメージが全く異なる。

もちろん外見も違うし、それによって観る人の解釈も全く異なる。

 

絵は画家の癖が強く出る。

それは好き嫌いに発展しそうだけど、その中で作品そのもの主張しているものは目を引くね。

 

私は興味のある絵だけをじっくり観て、他はざっくりだけど姉は全てをじっくり観るタイプ。

違うタイプの人と観るのも面白いものです。

自分では気付かなかったんだけど姉に『あんた絵でも鳥が嫌いなんだね』 と言われた。

確かに私が興味を惹かれるのは人物画で、それ以外の風景画には全く惹かれなかった。

ちなみに私はリアルの鳥が嫌いである。

今度から人物画以外の美術館に行くのはやめよう。

 

貴重な体験をできました。

 

ふと口ずさんでしまったアンパンマンマーチ

『何が君の幸せ?

何をして喜ぶ

わからないまま終わる

そんなのは嫌だ!』

 

 

日本中のほとんどの人間が歌ったことのある『アンパンマンマーチ』。

けれどあまりに幼少期の記憶なので私は間違った歌詞で覚えていたことをつい最近まで気づかなかった。

正しい歌詞は上に書いてある通りなのだけど私は、

『何億分の幸せ?

何をして作るのか

わからないまま終わる

そんなのは嫌だ!』

・・・だとずっと間違って覚えていた。

だから正しい歌詞を見て驚いた。全然違うじゃん!って。

ていうかこれほど有名な歌詞を10数年間間違っていた私もどうかしている。

改めて正しい歌詞を知って、本当に素敵な歌だと思った。

 

一番は『何のために生まれて 何をして生きるのか』っていう自分のための歌詞。

二番は『何が君の幸せ 何をしてよろこぶ』っていう他者のための歌詞。

世界は自分一人では回っていないということを伝えているとともに、この世界の一員として自分自身しっかり生きていかなければいけないと伝えている気がする。

 

 

10代の頃は自分よりも他者を優先せざるを得なかった私。

20代になり生きることの喜びを知った。

漸く自分の中の渇きを癒すことができて、だけど今も癒せない渇きは存在していて、日々の環境、状況によって精神が変動している。

そんな時、ふと無意識にこのアンパンマンマーチを口ずさんでびっくりした。

ややこしいことをごちゃごちゃ考えて苦しんで。

でもこの歌詞はとてもシンプルで、それでいて深い。

自分が何のために生まれてきたのか。

この問いを私は本当に小さい頃から抱き続けている。

きっと少し複雑な過程環境だったからこそ抱いてしまった問で、『意味』がなければ生きられないとずっと思ってきた。

それが成長して『意味』がなくても自分が楽しければいいと思えるようになった。

でも心の中でずっとそのことに罪悪感を抱いていた。

罪の意識を一時でも忘れさせてくれる『楽しさ』だけで生きていくにはあまりにも私の人生は薄っぺらいんじゃないか。

正義とか大義とかそういうものを意識しなければいけないんじゃないか。

でも自分のために正義、大義を掲げるのはあまりにも偽善ではないか。

そもそも良心というものが私には欠けているんじゃないか。

考えれば考えるほど、心の中もゴチャゴチャ。

見返りを求めてしまう自分の卑しさに嫌悪。

それらすべてをシンプルにしてしまう、『アンパンマンマーチ』。

心が救われる。

きっと私の心のゴチャゴチャはすぐには整理できるものじゃない。

この先何年もかけて片づけていく問題。

それまでは『アンパンマンマーチ』を歌いながらシンプルに生きていきたい。

いい大人がこんなことを思うのはおかしいかもしれないけど、私もアンパンマンのようになりたいよ。

ヒーローにはなれなくても、誰かのために動ける笑顔でい続ける存在でいたい。

アンパンマンって、本当にみんなのヒーローだ。

ミュージカル 『PARADE』 観劇

先日、石丸幹二さん、堀内敬子さん主演のミュージカル『PARADE』を観に行ってきました。

チケット代がなかなかお高く行こうかずっと悩んでいたけど、元劇団四季の二人だし・・・ととりあえずチケットを取って行ってみた。

私の初舞台観劇は14歳のときに見た劇団四季の『ライオンキング』で、劇団四季には並々ならぬ思いがある。あの舞台を見たからこそ、今舞台を好きになった自分がいる(でもそれ以来劇団四季を観に行ったことはなく、今年10年以上ぶりに観に行く予定)。

結果、とてもよかった。

よかった、なんて言葉で片づけたくないくらい頭から離れない。

夫婦の絆、人間の欲、差別。人間という生き物をとことん突きつけている作品だと思う。

一人の少女が殺害されたことで、多くの人間ドラマが展開する。

エリート思考でプライドが高かった主人公、レオ。お嬢様で世間知らずの妻、ルシール。

特にこの二人が私は好きだったな。

当初は価値観があまりにも違っていた二人だけど、レオが殺人犯にしたてあげられたことによって、関係性まで大きく変わっていく。

表面上は良い夫だったレオだけど、内心は自分のことしか見えていなくて、ルシールが外でどれだけバッシングを受けているかなんて全く考えられないし、辛いのは自分なんだと責め立てる。

ただの純真な女でしかなかったルシールだけど、レオを守るために変わっていくんだよね。

レオは信じてはくれなかったけど、レオを守るために奮闘して、知事の人生まで変えてしまう。

ルシールの勇気ある行動のおかげで、レオは『一人じゃなくてよかった』って思えるくらいに成長する。

この感情を石丸さんが見事に歌いあげていて、本当に『よかった、レオ』って私は思ったよ(ちなみにこの作品がどんな内容なのか知りませんでした)。

一方ルシール演じる堀内さんの力強さはすごかった。

『女性』という生き物そのものな感じがした。

柔和で穏やか、その分守ってあげなきゃいけないような儚さがあるかと思ったら、すっ飛ばして母性全開みたいな感じ。

無邪気な幼少期、複雑な思春期、何もかも包み込む成熟期。ルシールという役にすべてが詰め込まれている気がした。

かわいくて優しい部分、レオの言葉やバッシングに傷つく部分、怖いものは何もないと思えるほど、愛する人のために奮闘する部分。

ここが見事に表現されていたからこそ、レオの繊細さが生きたと思うよ。

これ、ルシールが下手だったら、レオまで足引っ張られてただ自分勝手で弱い男に見えたと思う(都合のいい時だけ女性に甘えるような男にね)。

夫婦の絆や愛がとても美しいものだと思えた瞬間はお二人の演技力の賜物です。

 

けれど運命は残酷で、二人のそんな幸せのひと時すら奪ってしまう。

レオの最期があまりにも悲しい。

なんであんな目に合わなくちゃいけないんだ、って思ってしまう。

でもそうするにはそうするだけの理由があって、やりきれない感情の末路があれなんだ。

戦争を含めて人の命を奪うって、それだけ人の良心や尊厳というものを歪めてしまうんだろうな。

最後のシーンで民衆がパレードを楽しむ中、ルシールは唇を噛み締めて必死に耐えているの。

ルシールにとって夫を奪ったのは故郷であって、その故郷でずっと生きていく決断は相当な覚悟がいると思う。

力なくパレードを横切り、最後それを見つめるルシールの眼差しが忘れられない。

悲しいのに強い眼差しをしていた。でもそれは憎悪ではないように私は思う。

そういう人間の性がテーマのこの話だからこそ、ルシールはそういうものと戦う強さを持って、最後あんな眼差しをしたんじゃないかな。

 

演技も歌も、文句のつけようがなく…というより鮮明に焼き付いてしまってどうしても離れなくて結局もう一度行きました()

2回目は当日券を入手するために並んだよ・・。

2回目は1回目よりも内容が理解できた分、最初から泣きそうになった。

皆さんなんであんな歌も演技も上手なんだろう。

プロローグからして魅了する歌声だよね。

全てが一体感を持った作品。

誰か一人が良いとかじゃなくて、全体のクオリティが恐ろしく高い。

 

 

余談だけど、主演のお二人、劇団四季で相手役を演じたことが何度かあるばかりじゃなく、同期入団らしい。

プライベートと演技は全く別物だと思うけど、この二人にしか作れなかったレオとルシールだと思ってしまう。

専門的なこともお二人の関係もわからないから完全に感覚で話しているけど、そう思う。

 

 

本当に素晴らしい作品だった。

同じ舞台を何度も観に行く人をまったく理解できない側の人間だったのについに仲間入りだよ()

パンフレットなんていらない主義だったのに買ってしまったよ()

 

いやー・・本当に素晴らしい作品だった。

また観たい。

美女と野獣

昨日はディズニーの実写映画の『美女と野獣』を観に行きました。

美女と野獣は世代だから観たことがあるけど、ずいぶん前だから内容は結構とんでいた。

最後は野獣が王子になってハッピーエンドでしょ?くらいなざっくりした内容以外忘れてた(笑)

 

そして映画を観に行ったら…

 

 

泣いたね‼︎

 

 

こんな話だったんだ〜って改めて観ると発見もあるね。

 

ベルって変わり者って言われてるけどすごく自分を持った女性で、それでいて美人って最強じゃない?

美人だからって我儘で高慢ちきなタイプでもなくて、頑固だけど学ぼうとする意識があるから柔軟性もある女性だと思う。

ベルの良さをエマがとても上手に演じていたように思う。

 

出演者の歌もとても素敵だったねー。

本当にディズニーってミュージカル向き。

 

 

ハッピーエンドになることはわかっているのに、終盤のシーンは泣いてしまったよ…。

特にポット夫人とチップのところ。

 

子供の頃は真逆の二人がくっついたように思えたけど、今回観てみてベルにはビーストが、ビーストにはベルが運命の相手だったんだなぁって思える。

ガストンなんてベルの容姿しか見てないし。

でもビーストはベルの外見も内面も同じくらい好きになったんだろうなぁ。

自分を変えてくれた、受け入れてくれたベルのことを最後は本当に愛していたから自分の物にならなくてもいいって思えたんだよね。

ベルにとってビーストは探究心を埋めてくれる、同じ価値観を持った人だったんだと思う。

どこか満たされずにいたベルにとってビーストこそが理想の相手だったんじゃないかな。

 

とにかく二人は理想のカップルだったんだと気づいてきゅんきゅんしました。

 

字幕版を観たんだけど吹き替え版も観たいなぁ。

ミュージカル俳優が勢ぞろいだから気になる。

 

おすすめの映画です( ´ ▽ ` )!