本来無一物

本来無一物

時に極端に、時にふらふら〜と生きている日常を綴ってます。

いじめにいじめ抜かれた職場すぐにやめてよし!

 


田舎からの上京や派遣社員として働くようになって多くの会社に勤めた。
ボーナスはないし、明日も知れぬ身ではあるけれど、現段階ではこの派遣社員というスタイルを私は気に入っている。
学びの精神を常に持っていられるとかメリットはたくさんあるのだけど、一番は契約期間が決まっていることだと思う。
合わない職場は契約満了(派遣社員は大抵3ヶ月毎の更新)ということで、退職すればそれほど転職する際に響かない。
だって、派遣は良くも悪くも人手不足の穴埋めだから。
企業側との契約満了なのに、居座り続けることは派遣社員には許されていないのだ。

運が良いと大事にしてもらえて長く雇ってもらえるけど、悪ければ給料泥棒と罵られる。


今まで勤めた会社の中で当然ひどい職場も見た。
あの頃は新人のうちはそういうものと思ったけど今思えばパワハラだったのかもしれない。
とにかく、笑顔を向けられることはなく、ため息をつかれるか棘のある言い方で怒られるかだった。
金もらうために来てるんだろ、迷惑と言われたこともあった。
言っておくと、私は超がつくほどの真面目である。
あの頃は純粋に役に立ちたいという思いが強く、向上心もあった。
ただ、私はかなり鈍臭い人間である。
はじめての作業は大抵出遅れる。
それをカバーしようと早めに来て作業したり、感じ悪くならないように元気に挨拶したり、自分から質問したり…。
でも最終的には無視され、睨まれ、従業員10人程に囲まれて怒鳴られた時はさすがに泣きそうになったよ。
25のいい大人だったけど(笑)
でもそれは社会人として失格だと思って堪えて。
今思えば完全に病んでしまっていたと思う。
一人一人に迷惑をかけてすみませんでしたと謝って。
帰ろうとしたら窓ガラスをバンバン叩かれて呼び止められて怒られて。
私はしどろもどろになって。
こういう私の不器用さが多分癇に障ったのだろう。
結局私は名前すら覚えてもらえず5ヶ月で退職した。

とにかく悪口の多い職場で嫌だったということもあるけど、きっかけは姉と食事に行った時だった。
何気なく姉にこんなことがあった、辛くてトイレで泣いたという話をした。
でもそこは姉。
私を慰めたりしない。
『あんたそれ25歳の女が話すことじゃないよ』
ガビン!と来たね。
愚痴を聞いて欲しかったのに姉はそれをシャットアウトしたかった。
当然である。
せっかく姉妹で食事に来たのに姉は私の愚痴を聞きたかったわけじゃない。
美味しい食事を食べて、それこそ25歳の女には豊富な話題があってもおかしくないのに、私が選んだ話は自分を慰めて欲しいがための惨めな話。
これが衝撃的だったのだけれどさらに言えばその頃掛け持ちをしていたのだけど、10代の女の子もいた。
彼女たちは私から見たら甘ちゃんだし、理想と現実を知らず浮かれている。
でも当時の私のように絶望して疲れ切った顔とは無縁だった。
夢と未来が約束されたような清々しい顔だった。
女同士だと当然メイクや年齢の話をしたりもする。
『〇〇さんって老けてるよね』
ある女の子が同年代の女の子のことを話していた。
ドキッとする。
その〇〇さんは私より年下だ。
年下の子の目線は厳しい。
自分の顔を見たら実年齢よりも相当老け込んでいるように見えた。
体も心もボロボロだ…。

そんなこんなで仕事を一旦辞めて自主的にリフレッシュ休暇を設けることにした。
とは言っても疲れ切っていた私は予約した美容院すら行けない有様。
単なる寝坊。
でも、必ず起きれなくなるのだ。
人との約束というものが億劫になってしまっていた。

結局復職するまで2ヶ月の時間を要した。
さらに言えば精神が回復するには半年かかった。


辞める当日になったら挨拶してくれた人もいたし、もう少し頑張れば馴染めたかもしれない。
私のような不器用な人間が半年で辞めるには早かったのかもしれない。
でも、やっぱり辞めてよかった、と今は思っている。

あのまま悪口が蔓延した環境にいても辛いだけだった。
きっといつか私は彼らと同じように新人をいじめ、それが正しいと思うようになる。
そんな人に私はなりたくない。


今の職場で本当に尊敬できる人にも出会え、またもう一度頑張ろうと思えるようになった。

 

体も心も壊してわかったのは、1日目でダメだと思ったらさっさと辞めてしまった方が傷は早く癒える。


ちなみに精神科医との会話。
私『仕事が辛くって夜も眠れないし食欲もなくて…』
『体壊すくらいなら辞めちゃった方がいいよ』

辞められたら苦労しねーよ!
…なんて思わなかったよ。
私が馬鹿みたいに真面目に悩んで話したのだけと、先生はまるで人生の先輩として私に言ったみたいだったから。
まるで私の悩みは簡単なんだよ、と横からそっと教えてくれたみたいだった。
決めるのは自分。
そう言われた気がして、体壊してまでそこで働きたくなかったのでやめた。
結果、私は幸せになった。


病院に行ったのはあの一回きりだったけど、良い先生に出会えた気がする。